わたしの知人に、夫が投資家という人がいる。

そのご主人は数年前までとある有名スーパーで正社員をしていた。正社員と言っても出世のルートからは外され、お総菜部門で来る日も来る日もお総菜を作る仕事。そしてお客さんからのクレームをダイレクトに受けるポジションにいた。仕事内容はアルバイト並なのに、嫌な処理だけは正社員の立場だったというわけ。そこそこ良い大学を出た彼としては、その状況が受け入れがたかったらしく奥さんの仕事が順調なのを理由に退職した。

実際は奥さんの仕事が順調というのは建前で、投資が上手く回るようになっていたのだ。つまり彼は企業研究できる賢さを武器に投資家になったのですね。

彼は今、端から見ると奥さんの仕事を手伝っているようで何もしていない人なのです。お盆もお正月もなくせっせとお総菜を作っていた当時の彼をわたしは知っているので、あの状況から卒業できてよかったなぁと思う。しかも投資家ってすごいなぁと。

ところが、人は彼のことを投資家とは見ないんだよね。「昔、毎日コロッケ揚げてた人」と形容する。彼自身が実社会に与えていたことで呼ぶんだよね。投資をしていることを知ってる人ですらそう呼ぶ。

わたしは今の彼が投資で生活しているのなら投資家で良いと思うのだ。「昔、毎日コロッケ揚げてた人」と呼ぶ人は、働かないことは仕事じゃないし収入じゃないと固く信じているのではないだろうか?

余談だけど、度々登場する近所のお金持ちのおじさんも本当は投資家なのだ。でもあのおじさんは所有しているビジネスの中で一番誰でも分かるような、儲からなそうな店を肩書きに使っている。そうやって自己紹介するおじさんを見るとき、本当はもっと凄い人なのになぁといつも思っている。