結婚すると新しい母親ができます。わたしはこの新しい母、つまり義理の母にはこだわりがありました。絶対に賢い人が良い、と。いくら時代が変わっても結婚したら相手の家族も自分の家族になりますからね。家族にべったりの自分がない人は絶対に避けたかった。

結婚して義理の母がどんな人が分かってくるにつけ、思っていた以上に賢い人でとても良かったと思っています。自分の楽しみがしっかりある人なので、グズグズの面倒なことにはなりません。

人生の課題の一つって、孤独を飼い慣らすことだと思う。結婚してたって人は究極のところ孤独なものなんですよ。それに気付いて飄々と生きてる人の方が付き合いやすいのです。

義理の母の男性観

「外で夫の悪口を言いふらしてる人がいるけど信じられない。男の人がいないでどうやって暮らしていけるというの?」

この言葉を義理の母から聞いたとき、この人で良かった!と心底思いました。このときの彼女の言い方は、男の人がいないと生きていけないという弱さではありませんでした。むしろ、女一人で生きていけないのだったら、外で愚痴をいうなという強さに感じました。他人である夫に自分の幸せを委ねていないのです。

愚痴らない生き方

今でこそ、女性が仕事して生きていける時代になったけれど、義理の母の世代でそれができたのって看護師さんでもどうかな?という時代です。つまり生活できるかどうかは男性に掛かっていた。それが良かったかどうかは置いておいて、それしか道がなかった。

ならば愚痴らず、その状況でどう暮らしていくか?を考えて生きてきた人なのですよ。だから外だけじゃなく、子供(特に男の子だったわたしの夫)の前で父親の悪口を言わずにきたのです。それを直接義理の母からは聞いてないけれど、上記の台詞を言ったということは、そうなのだと推測されます。

母の言葉が子供の人生に影響を与える

周りを見てみると、母から父の悪口を聞かされて育つと社会に出たとき、仕事の面で悪影響が出ているように見えます。夫にはそれがない。その点が良いなと思っています。義理の母が子供に何を言って、何を言わず生きてきたのか。これから夫と付き合っていく中で分かってくるのが楽しみです。

ほんと愚痴を言って生きたって、何も良いことはない。今をより良く生きる行動をとっていけば良いのです。